2020年8月に送ってきた手紙に関して

私の誕生日に性懲りもなく手紙を送ってきた母親。

 

逆ギレしていきなりヒステリー起こすような奴の言うことまともに受け取るとおもってるのか?

お前、反省がないなあ、何寝ぼけたこと言ってんねん。

いいかげんにしろ。

お前この前逆ギレしてきたやないか!

何書いてきとんねん。

こんなん書いてくんのも自己満足。

相変わらず一方的やな、な?

脳ミソないんか?

自己陶酔。認知が歪んでる。

どこにも逃げ場がないようにしてやるからな。

日本のどこいっても住めないようにしてやる。

 

心配なら、死んで、お前の存在が、目障り。

お前生きてたらわざと嫌なこと言ってきたり銀行口座の暗証番号教えろとか迷惑なことしてくるやろ。

存在してることが、迷惑やねん。

一刻も早くこの世からいなくなってくれ。

この世からいなくなってくれたらいちばん嬉しい。

絶対に一生関わらなくて済むということだから。

だから、何回も言ってるやろ、自殺してくれって。

虐待してきてこっちの精神殺してるんやから、自殺するのが適切と何回も言ってやってるやろ。

こっちが追い込まれるまで嫌なことしつづけてきたんやから、自分で自分の始末して、最後くらい喜ばせてくれよ。

同志社女子中高

中二頃から、金持ちなのに真面目に勉強しないこの学校の連中に嫌気がさして、高校は公立を受験したいと親に言ったが、とりあってもらえなかった。

それでもこの学校が嫌で、大学は付属校への進学を拒否して、東京の国立大へ行った。

ちなみに、妹も別の中高大一貫校へ行っていたが、やはり系列の大学に進学せず、彼女は大阪の某国立大へ行った。

 

親が家で自慢してるんだろう。自分の親の自慢。親の職業。自分の親は医者だとか、会社経営者だとか、そういう医者とか士業のオッサンが、美人な女と結婚して、生まれた女をこの学校に入れる、で、大学まで勉強しなくても同志社大卒という学歴、大学から同志社入った人とは違って、脳みそのない肩書が手に入る、そういう学校だった。

 

勉強しなくても付属の大学に上がれるから、そのダメな雰囲気から悪影響を及ぼされないように身を守るのに私は必死だった。

まじめで堅実な雰囲気の学校に行きたかった、といつも思ってた。

勉強しない金持ちのバカといっしょの環境にいるのが。進学校で、真面目に勉強する人たちと学校生活送りたかった。

価値観の合わない人々の中で貴重な時間を費やした十代だった。

家族は宗教と同じ

実家にいたときは、親のことを理性のない人間だと、いつも思っていた。

 

 

 

家族って宗教だな、と思う。

 

 

 

身内だからという甘え。自分の両親は、結局、いつも、甘えた根性の人々。

内山絢子監修『面白いほどよくわかる! 犯罪心理学』を読んで

 

内山絢子監修『面白いほどよくわかる! 犯罪心理学』を読み、

 

p.69「子どもが親を殺す理由とは」で出された板橋両親殺人事件なんかは、自分の家もそんな感じだったと思う。

 

p.124「DVと虐待はどう違う?」に書かれている、「身内だからという甘えが助長させる」というのはまさにその通りという感じ。

結局、親の方が、子どもに、甘えてる構図なんだな、虐待というのは。

 

「暴力は、身体的暴力のほか、心理的暴力、性的暴力、経済的暴力など、さまざなな形になって現れます。」(←自分にはすべて当てはまる)

 

p.128

「わが子を虐待する 衝動的でカッとなると何も見えなくなる親が多い。自分を正当化することも。」

これもその通り。理性がないんだな、うちの親は、といつも思っていた。

そして、なんだかんだ理由をつけて、自分に嘘をついて、自分の虐待を正当化する。それがうちの父親と母親。

逮捕されてほしい。犯罪だから。

 

「子どもを虐待する親は、衝動的でカッとなると何も見えなくなるタイプが多く、「そんなことをすれば、子どもがどうなるのか、どう感じるか」を冷静に考えることができません。そして、「暴力を振るうのは、子どもが悪いことをしたからだ」と自分を正当化します。」

そう、これが、自分の親の頭のおかしいところ(の一つ)。だから、サルといっしょ。実際父親は申年生まれだが、ほんとサルといっしょ。人間に備わっているはずの理性というものがない。

 

p.188

「交通犯罪は「過失」ではない」には、「頻繁に事故を起こす人にはいくつか特徴があります。自己中心的、協調性が乏しい、感情的、せっかち、判断力がない、などです。
 こうした性格は、殺人や窃盗などの一般犯罪者にも共通しており、事故多発者の2~3割が一般犯罪も起こしているともいわれます。」と書かれている。

 

自分の父親はよく交通事故起こしてるが、ここに挙げられている特徴には全て当てはまる。つまり、犯罪者的気質ということだろう。

無意識化では、自分が犯罪者的気質であることに気付いていると思う。

だから、それを子どもに勝手に投影して、「ドアがついてると何してるか分からないから」などという妄想でもって、思春期の子どもの部屋のドアを取り外したりという行為に及ぶのだろう。

それで、先に書いたように「そんなことをしたら子どもがどう思うか」考えることもできないから、それが子どもにとってどれだけ屈辱感を与えるのか考えることもできない。

 

こんなことの繰り返しが自分が育った環境。

親を殺したい。あたまのおかしい育て方をした責任をとって、両親とも、自殺してほしい。

親に相談事をしてもムダ

親がバカだから、親に何を相談しても力にならない。

何か言ってきた場合も、見当外れの返答か、私の相談事への否定が返ってくるだけ。

全く参考にならない答えか、そんなことで悩むのがおかしいといったことしか言わない。

死んでほしい。

相談したのに、返事をするどころか、不愉快にさせられる。

親に相談事をするのは建設的ではない。

こうやって、人に、何かを相談するという選択肢が、あらかじめない人間になっていく。罪深いと思う。

それだけではなく、悩んでいるところに、さらにダメージをくらうことになる。

見当外れの返答が返ってきた場合は、相談事をした労力が結局またムダだったことによる気落ち、それが見当外れだという認識がない親に対する改めての失望、それをわざわざ指摘する気力もなくす。

そんなことを悩んでいるほうがおかしいといった返答の場合は、怒りを覚える。自分が困っているのに相手が、その困っていること自体を全否定してくるということは、困っている出来事がこの世に存在してないという認識を強制してくるということだ。それは自分には関係がないから、相談を受ける気がない。こういうリアクションをされると、世の中の全てがなくなればいいと思う。自分は困っているのにそのこと自体がないかのように強制されるということだから。親含めすべてを破壊したい。

ただでさえ悩んでいて余裕がないところに、さらにこのような対応をされると、ますます追い詰められる。そういう親だった。

親としての役割から責任逃避している。だから、話をするのもムダな人材。社会から忌避されて、みじめな思いを存分に味わって死んでほしい。