発達障害の手記を読んで

28歳ごろに、こだまちの『どうして普通にできないの!』(共同医書出版社)読んで、逆に、著者と自分の違う点をすぐに挙げられるくらい、この人の精神構造は自分と被っているなあ…と思った。

「私が思う自閉症圏の本質」は私自身に言い聞かせたいくらい。

この人と自分の違う点は、私は、他人に嫌われても構わない、と思っているところだと思う。私は、そもそも、他人に、あまり興味がないんだな、ということに気づいた。

 

Lobin.H『無限振子―精神科医となった自閉症者の声無き叫び』(共同医書出版社)で自分と全く同じだな~と思ったのは電話受付ができないところ。私はそれ以前に、面と向かった状態でも、人と会話をするのが苦手。電話応対になると、完全に不可能なレベル。

相手が言う可能性のある内容を事前に推測して、それに対する答えを全て用意してシュミレートしないと話せない。音声だけで、何を言われているのか理解する能力が、「普通」の人より低いのだと思う。

p.89の、「向こうが重大な告白をしてくれたから自分も同じくらい重大な告白をしなくてはならない」という思考は、私も20過ぎくらいまではまったく同じだった。

ASD文化と定型発達文化の通訳が必要、との内容に関してのところでもそう思ったけれど、「普通」の人の感覚を教えてくれる人から教えてもらったり、人を観察したりして、そうではないと分かるようになった。

とにかく、子供の頃から、「普通」の人は、こういう場面でどう感じるのか、ということが全然分からない。

全て公式にしてどこかに書いておいてほしい、と小学生の頃から、いつも思っていた。

親しい人間に、「普通」の人のものの感じ方、考え方を聞いて、それを手掛かりに「普通」の人の考え方を推測している。でもたぶん、それでも違っていると思う。たぶん、定型の人がアスペの人の感覚を理解するのはこの逆なんだろうな、と考えたりする。

精神科医ASDにとって最も向かない職業の一つ、と書かれていて、精神科医にならなくてよかった…と思った。相手の心情を察するスキルは、まず、私の場合、人と感性が全く違うから、無理だろうな…。

で、やっぱりここが違うのは、私はLobinさんより寂しがりやじゃないんだな、ということ。Lobinさんは他人に対して「嫌い」とか「憎む」といった感情がないのだろうか?どちらかといえば、「悲しい」「寂しい」という感情なのか?

いじめられてやり返さないのは「受動型」だからだろうなあ…。私は「孤立型」で、余計なことをされたら、二度と同じことが出来ないように、やり返すからなあ…。

 

こんなこと言って申し訳ないけれど、こだまちのさんもLobinさんも、男性につけこまれてしまっているように見える…やはり、自閉症特有の雰囲気でナメられやすく見られてしまうのだろうか?と思ってしまった。

 

どちらの本だったか忘れたけれど、自分の精神がおかしいことに気づいて、色々本を読んでいたと書かれていた。

私も、自分の精神が何かおかしいのには早いうちから(私は8歳くらい)うすうす感づいていて、大学生になってから、精神科医が書いた精神病関係の本を読み始めた。

疑っていたのは、統合失調症、依存性人格障害回避性人格障害離人性障害など…。

結局、発達障害と、私の場合は愛着障害に全てが起因していると思う…。

 

自閉症の人が書いた手記を読んでいると、自分が他人からどう見えているのか、少し想像できる。

自分の思考回路と著者の思考回路を比較でき、自分が、自分と似た存在を客観的に見れるから、自閉症の手記を出してくれるのは、ありがたい。

ASD当事者にとっては自分と似た存在はごくごく少数だから…。