大学の教員にされた今でも不可解な出来事。

大学三年生のころ、当時准教授だったチェコ科のKNZSの授業をうけていた。

教室にはチェコ科の同級生約15人プラス先輩数人の、合計20人弱くらい。

授業中、教科書の指定された範囲を音読するように指名されたので、読んだ。

すると、私が読み終わった後、

「発音だけ上手でもしょうがないからね」

といきなり、言われた。

一瞬、びっくりして、何を言われたか分からなかった。

普通に読んだだけなのに。

ただ、指されて、言われた箇所を読んだだけ。

もちろん、どう、発音上手いでしょ?って態度をとったつもりもない。

 

入学時からその時まで、普通に、真面目にそいつの授業を受けてきた。

私、何か悪いことした?何かお前にした?

意味が分からない。

教室の他の学生は何も言わない。

KNZSの授業は、卒業までに数十回受けたけれど、それまでも、その後も、他の学生にそんなこと言ってるのを聞いたことは一度もない。

一体何なんだろう?

自分だけに、不可解なこと言われたことに、怒りを覚える。

 

私は耳がすごく良い。

これは聴覚検査でも、ピアノの先生にも子どもの頃から言われてた。だから、生まれつきなのだと思う。

母方の祖父の家系は、たまに、生まれつき耳が聞こえない人が生まれてくる。

祖父の兄の一人は片耳が聞こえないし、祖父の妹の子(私の母親のいとこ)は生まれつき聴覚障害があり、祖父の妹は、それが分かった時、子ども抱いて電車に飛び込もうかと思ったと私は祖母から聞いた。

一方で祖父は特に耳に障害はなく、むしろ非常に音楽好きで、謡曲を趣味で何十年もやっており、自宅ではオーディオでオペラを聞いていた。

 

全くの推測だけど、聴覚が強いのも、弱いのも、要は感覚の鋭さが一定しないということじゃないかな、と考えている。

とにかく、私は、たまたま、生まれつき、耳が良い。

 

私は、チェコ語の教科書の付属のCDを家でリピートして音読して練習していた。

他の同級生も当然同じことしてるだろうし、特別なことではない。

読むように指定された箇所はCDに収録されているので、その、CDのまま、読んだだけなのに。

なのに、いきなり、意味の分からないことを、よりによって教員から、授業中に、みんなの前で言われる。

 

何が言いたいのか、言いたいことがあるならはっきり言えばよい。

私が気に入らないんか?何もしてないのに。

今だったら「今のはどういう意味なのか」聞き返すところだ。

でもその時は、必須の授業で単位落としたら卒業できないから、ひと月たった四万の仕送りで奨学金借りてバイトもして大学言ってるのがムダになるから、これまで真面目に授業出てきたのがムダになるから、黙って何も言わずに聞き流してやった。

 

その時我慢したけれど、本心では我慢に耐えかねる。だから、今でも、恨みに思ってる。

チェコ科の教員は数人しかいないし、そもそもチェコ語の取れる授業は限られているのでこれを落としたら、他で単位を補うことができない。

よってその後も我慢し続けて学期が終わるまで授業出なきゃいけない。

そういう弱い立場にいる学生に対して、そういう発言するって、本当に、見下げ果てた人間性

国立大の助教授というポジションでこういうことする奴がいるとはと、また一つ勉強になった。

 

 

KNZSは、KRDというこれまた講師で呼ばれて大学で授業もってたおっさんと結婚してるのか事実婚なのか知らないが、そのおっさん、200人もいる大教室での授業中に、学生の前で、「国立大の低い報酬で授業してやってる」とのたまった。

立場を笠に着て二人揃って傲慢な言動、お似合いのカップルだ。

そんなに授業したくないなら他で稼げばいい。教えるの嫌なんだろ?

そういうこと言ってると、学生はけっこう覚えてるもんだぞ。卒業後に思わぬところからやり返されるかもしれない、ということを考える脳みそもないのだろう。

 

小さい語科なら学生の人数少なくて、人間関係作りやすいだろうと考えて入り、確かに同級生たちはみないい子たちだったが盲点もあった。

メジャーな言語なら習得人数が多く、教員になるにも厳しい選抜があり、その上で選ばれる優秀な人材が教員になる場合が多いだろうけど、マイナーな言語は競争自体がゆるい。

だから、言語はできたとしてもその他の教員としての資質に乏しく、他の精鋭に比べれば頭もそんなによくないから雑務の処理能力などが低いのだろう。

高校生の、大学を選ぶ段階ではそこまで思い及ばなかった。

 

ところで話は脱線するが、外大は、各専攻語、というノルマが主で、それ以外の科目が従、という感じ。自分で教養をつけにいかないと、身につかない。総合大学ではないから、そこが乏しい。

大学三年生までは、チェコ語に追われていた。

カリキュラムが、専攻語とその外国語圏に関する授業に偏重しているから。

 

話を戻す。

大学教員は狭くて限られた人間関係の中でしか生きてないから内面が成長しないままなのだろう。その点医者などと似ている。一般企業に勤めたことがない人種の一つの悪い特徴だと思う。

地位だけは、世間から見れば「ご立派」だが本人の人間性は成長していない。

人格的成長の停止はモラルまで蝕んでいる。

 

こんな出来事、覚えてることすらいまいましい。

今後、同じ出来事に遭遇するのを避けるため、こうやって記憶が薄れても読めるように書き記している。