同志社女子中学でのバドミントン部の思い出

中学入って、バドミントン部に入ってしまって、「~セット」「ミーティング」って単語を聞くのも使うのも大嫌いになった。

一生聞きたくないし、自分では使いたくない。 

 

中学の部活の夏の合宿先は、なぜか毎年鳥取県三朝町総合スポーツセンターだった。

投入堂という観光スポットが名勝らしい。行ったことはなかったが。

なんで京都市内からわざわざこの場所に合宿先を定めたんだろう?

逃げられないようにか?

 

そこから歩いて自宅まで戻ろうと決心したのに実行に移さなかったのが今までの人生で最も後悔していること。

携帯も持ってなかったし(私だけだった)、所持金は数千円しかなかったが、幹線道路をずっと歩いていけばどこかには着くだろう。

道路の自動車用の地図標識を見て歩いていくつもりだった。

鳥取から京都までは数千円では帰れないので、それは水と食料代にするつもりだった。

 

 もし実行していれば、ある程度騒ぎになって、そんなに部活が嫌なのか、ということになって、中学も本気でやめたいのが伝わって、同女やめて高校はまともな学校行けたかもしれないのに。

高校は公立の進学校に行きたかった。

たぶんうちの親は両親とも大学受験で同志社落ちたんだろう。二人ともバカだから。だから内部進学させたかったんだろう。気持ち悪い。

もし中学で同女やめていたら…と考えると、身の周りのもの全て床に叩きつけて壊したくなる。

 

同女のバドミントン部の合宿では毎晩ミーティングという名の吊し上げが行われた。

女だけの吊し上げ現場。金持ちのワガママ女が体育会系の真似事して、全然適切な指導もできない、ただやらせてるだけの、日本の学校教育と同じことをしてるだけの部活でただの後輩いじめを連綿とやっている。

毎晩ホテルの廊下の突き当りの窓から、飛び降りよう、今日こそは飛び降りようか、と思って過ごした。

 

ミーティングは普段の部活では毎日あるが、その普段のミーティングも私は毎日苦痛だった。

部活終りに輪になって先輩、顧問の話を聞くのだが、大きい声で言えないようなことを言う時は輪を小さくしろと言われ、バカかと思った。

聞かれて困るようなことなら話すなよ。バカ女が集まるバカ学校だということを、ここでもまた、確信した。

 

合宿のミーティングは、普段のミーティングを何十倍も酷くした感じ。

普段の「ミーティング」は十分くらいだが、それが合宿だと延々二時間も、毎晩続く。

一人一人、「自省」して自分の反省点を述べて、順番に「懺悔」していかないといけない。

精神的に毎晩追い詰めていく。精神病を作り出すだけの無意味な儀式。

中一は合宿参加はなしで中二からこの合宿に参加することになるのだが、はじめて合宿に来た中二は全員鳴いてる。嘘でも泣かなければいけない状況。私はこんなバカバカしいことに泣きたくなんかないから泣くフリすらしてない。

名指しせず、眠そうにしてる、などと言われる。眠いというかバカバカしいわ、時間のムダ。無意味に精神的に追い詰め、それを誰も変えようとしない。毎年そうなんだろうな。その場にいた人間全員殺したい。ドアを蹴破って部屋から飛び出してドロンすれば良かった。今でもあの時あの場所に戻って、あの場にいた全員の頭を片っ端から鈍器で殴ってやりたい。今あの場にいた奴らに再開したら、絶対にやり返してしまうだろうな。

 

合宿中のある日のミーティングでは「自分の限界を作らずに…」という文言を「懺悔」の中で言わなければならなかったらしい。なぜなら先輩からの説教でその言葉が何回も何回もしつこくしつこく言われていたから。

自分で何も考えずに、「教化」されたフリをして、各々「懺悔」の中にその「自分の限界を作らずに…」を入れなければならなかったらしい。

 

 「自分の限界を作らずに」なら、何も考えずに内部進学するなよ。勉強してマシな大学行けよ。

今思い出しても、その先輩たちの頭を順番に粉々にしてやりたい。

頭で何も考えられないのはそっちやろうから。何も考えられないくせに、人を、洗脳しようとしている。

 

部活してていつも考えていたのは、戦争ってここから生まれるんだなあ…ということ。

抑圧した環境で人にストレスを与え続けて追い込んで、他の事を考えられなくさせて、洗脳する。

同女のバドミントン部は盛り上がってるフリ、演技を強制的にさせる雰囲気だった。

そのうちそれが本心だと同女のバカたちは勘違いしはじめる。

戦時中もこんな風に外(国、政府)からの価値観を自分の「考え」だと思い込まされて、国民の意識が変えられていったんだろうなあ。

 

同女のバドミントン部で自分がはじめに感じた直観的な違和感は恐らく正しかったのに、そのときはまだ人生経験が少なくて、勘違いだと思ってしまった。

こんな無意味な環境、早く足を洗えばよかった。時間もエネルギーも消耗したエネルギーもすべてがムダだった。

 

中学のバドミントン部の三人の顧問のうち、二人は男で、一人は女の教員だった。

その女の教員は一応、名目上顧問だったが、ほとんど部活放置してたな。

本心では顧問やりたくないのに引き受けたようで、部活に顔を出すと毎回、中学生から見ても、いかにも「お義理で引き受けてやったんやぞ」というような態度を隠しもしなかった。

大して頭も良くないし、授業も上手くもないのになあ…細い体つきの国語の教員だった。バドミントンができるのかは知らん。

 

部活って宗教と似ているよなあ。

顧問(「指導」者)と先輩の学生、お互いバカ同士が頭のおかしな教義をつくって、それを、新しく入って来た者たちに押し付ける、という構図が。

自分で考えることが許されない。

宗教にしても、部活にしても、離脱せず最後まで残った者は、自分では物事を考えられない人々。

教化ができあがって、無言のルールに従って、亡霊のように生きている。

 

早く部活やめればよかった。中二になってすぐくらいで。

それなら人を精神病にさせるような合宿に行くこともなかったし、松原が入ってくることもなかった。

中二になってすぐくらいにオスグッド病になって膝を悪くしたが、その時にやめればよかった。

 

親が一度はじめたことはやめるなとガミガミガミガミ言うからやめられなかった。

親はアホだから一度はじめたら続けろとしか言わない、脳ミソがないから。

 

 

中三の夏の、自分にとっては二回目の合宿が終わって、そこではじめて後輩がいる合宿を経験したわけだけど、あと三年間こんなバカらしいことを毎年繰り返すのか、と思ったら、部活の先輩、顧問、同級生、後輩、全員がクズなのを確信して、ほとほとバカらしくなった。

 

部活は最後は行ったり行かなかったりを繰り返してやめるとも何とも告げずに行かないことにした。

それが中三の秋くらいかな。

秋も深まって、たしか部活に行かなくなって1,2ヵ月経ったころに、部活の同学年の奴らやめるのかどうか数人で訊いてきたからやめると答えて、おしまい。

 

部活をやって良かったよは1%も思わない。

ムダな時間だった。剣道もそう。

もっと早く見切りをつけるべきだった。

人生の時間が勿体なかった。

その時間を勉強に充てればよかった。

こういう活動のムダさ加減が分かっていなかったら、大人になってから同じ過ちをしていたかもしれない。

早めに「もう一生こういうことには関わらない」と決意させてくれた、その功績だけはある。

 

人生の経験が少ないから、はやめに見切りをつけた方がいい事が分からなかった。

誰も助言してくれないし。自分の親はバカだから全く、何においても、頼りにならない連中。

 

合わないことを我慢して続けても時間のムダなだけで、得るものは何もない。

 

顧問も無責任な連中だった。

 

この原稿のもとになるのを書いたのは25歳のとき。

二十五年生きて、やっと嫌な体験を言葉にできるようになった。

同女から同志社に内部進学した奴なんかバカばっかりだから、一生関わりたくない。

こういうレベルの低い奴らに関わってはいけない。