高校への内部進学が不本意だったので、高校では口をきいてない

中学二年生くらいで、すでに、同志社のバカさに気付いていたので、高校は同女に内部進学せずに 公立高校を受験したかった。

それを何回も親に言ったのにとりあってもらえなかった。

父親はどっちでもいいという感じだったらしいが、母親がとり合わない。

母親は高校は進学校だったらしいが高校では勉強しなかったらしい。

で、京女短大卒。頭悪い。

だから私に内部進学で同志社行かせたかったんだろう。

バカだからバカの想像しかできないんだろう。

 

それで、中学で同志社にはほとほと嫌気がさしていたのに、内部進学させられた。

ろくに勉強しなくても内部進学で同志社行けるから、まともに勉強せず、ボーッとただ時間を浪費している二五〇人のバカ女と同じ高校行きたくなかったのに。

バカと接するとバカが伝染るから、高一から卒業するまで誰とも話してない。

何か訊かれたら答えた。何か訊かれることは、3年間で三回くらいだった。

もともと緘黙なのを、無理やり自分で気を引き立たせて喋ってたから、喋らないのは自分にとってはデフォルトだった。

 

 高校はもう自分的にはどうでもよくて、ただ卒業するために通ってた。

一日も早く卒業したい、と高一の四月から思ってた。

授業に出ることだけが通学の目的。

高校がはじめからイヤだったから、この三年間は自分の人生にはない時間だと思うことにしていた。

勉強と、それから趣味、それだけに時間を使うことにしていた。

 

高一の体育祭、文化祭は確か、普通に出ていたと思う。

高二の体育祭は、体育館の人が来ないところで本読んでたら、自分の番は終わってた。

誰かが代わりに出たのだと思う。

文化祭は、最低限出ないといけないやつだけ出て、あとはすぐ帰ってた。

高三の文化祭、体育祭は出席だけとってあとは河合塾行って自習室で勉強してた。高三の担任は外部受験する私に理解のある人物だった。丸い体型のおじさんの国語の教師。私が卒業したあと同女辞めてたけど。今何してるのかな。

 

高二の最後にある、高校の修学旅行も行きたくなかったが、母親が「一人だけ行かなかったら変だと思われる」とか訳分らんこと言い出して、母親と話をする方がめんどくさい、ただでさえ誰も大学受験する人が周りにいない環境で勉強するのが大変なのにバカ親にエネルギー使いたくないから体だけ修学旅行に行った。

 修学旅行は沖縄だったが、英単語の単語帳持って行って、移動時間もホテルでもずっと英単語覚えてた。

 

中高時代、学校も家も嫌で、精神的に傷ついた時期。よく精神病にならなかったと思う。