算数、数学に捧げた子ども時代[中学受験編]

小学校三年生の時、中学受験のための塾にはじめて行かされた。

地元の、成基学園という塾。

自分は、訳も分からず連れていかれて、入塾テスト受けさせられて、週二回通っていた。

授業は国語と算数を取っていたが、どっちの教科だったか忘れたが、おばちゃんの授業が分かりにくかったことを覚えている。

 

成基学園はほんとダメだった。

やりきれないほど大量に宿題が出て、授業は一方的に教壇で講師がしゃべって終り。

宿題のテキストは余白の少ない分厚い冊子で、問題解きにくかったなあ…。

子どもにこんなユーザビリティの低いテキスト配るなんて、なーんも考えず作ってるんだなあ、と今思う。

成基学園では生徒が理解できているかどうかのチェックなんてない。

親がしろ、ということなんだろうな。親が勉強のチェックをしてくれるような家の子しかついていけない。

結局、自力でついていける子しかやっていけない。

そうやって、人を、振り落としてるんだろうなあ。

成基学園は、結局、一年くらいでやめた。

 

公文で国語の進度に比べて算数がはかばかしくなかったことに加え、成基学園でも国語より算数に苦労したことで、十歳前後で、自分は算数がそれほど得意でないことにうすうす感づいていた。

それでも、それを補うくらい根性で努力してきたので、周りの子どもたちよりはできた。

 

小四は中学受験の塾から遠ざかっていた自分にとっては比較的安寧な時期で、他の習い事や友人関係を楽しんでいた。

確か小五になる直前に地元ではいちばん難しい塾、馬渕教室というところに入塾テストを受けにいかされた。そこでも、多分国語はできたけれど算数はできなくて、不合格だった。

それで、小五も中学受験の塾には行ってない。

中学受験とは関係ないが、小五の自分でエポックメイキングだったのが、幼稚園から続けていたスイミングを辞めれたこと。

最後は内藤というコーチが指導していたのだが、そのオッサンは教えている時に頭殴ってくるからほんとに耐えられないほど嫌で、一度だけ、学校で遊んでいてその日はスイミングなのに気付かないフリをして行かなかったことがある。

 

小六になる直前、小五の二月から地元の京進という中学受験用の塾に通い始め、中学受験の算数の勉強をはじめて、そこで、再び、はっきりと、自分に算数が向いていないことが分かった。

塾のクラスメイトたちは小五から通ってる子が多く、自分は新参者だった。

 

京進は自分には合っていた。いい先生が多く、算数と理科を担当してる塾長のYSI先生、国語のMG先生、社会のTKHS先生、みないい人たちだった。

 

自分はその時から算数と理科が苦手で、算数はほぼ毎回分からない問題が2、3問あり、理科は、中学高校の分野でいう「物理」がすごく苦手だった。

具体的には、重りとか、ばねの力とか、電流など。

中学受験の理科は暗記の占める割合が多く、計算が必要なのは一部だけど、その計算が必要な分野ができない。よって、それらの単元をやるときは、算数のみならず理科も放課後?の質問タイムに聞きにいってた。

YSI先生も、授業時間外なのによく面倒みてくれたと思う。

 

授業が終わってから職員室に分からない問題を聞きに行くと、きっちりと分かるまで教えてくれた。教えるのが上手い人っていうのは、分かるまで落ち着いて教えてくれる。

家で父親に算数の分からない問題を聞いたら、ガミガミガミガミ怒りながら、(こっちが分からないのが)情けないなどと言いながら教える。

それでも、分かるようにならないとどこも合格できないと思って、聞いていた。

 

子どもがちゃんと理解したかどうか分かる先生はいい先生だと思うが、その時算数を担当していたYSI先生はまさにそれだった。この人には本当にお世話になった。この大恩人のおかげで中学受験は成功したようなもの。

夏以降は毎回授業の終わった後、塾に残って、もう一人の別の中学志望してる女子といっしょに教えてもらってた。

 

自分は京進で、生まれて初めて、関西弁じゃない人を目の当たりにした。

国語のMG先生は「MGせん」と呼ばれている優しい&面白い人物で、社会のTKHS先生は独特の喋り方だった。群馬県の名産がこんにゃくであることを説明するのにMG先生の産地群馬と言っていた。治安維持法を教える時に、「悪名高き治安維持法」と毎回言っていて、それを20年近く経った今でも覚えている。

このTKHS先生には一度(か二度)中学の下校時に京都市営地下鉄烏丸線内でぐうぜん会ったが、向こうが気づいて声をかけてきてくれた。私のことを覚えていてびっくりした。

 

そんな中学受験期を経て小学校を卒業するころには、公文での経験もあり、もう、完全に、自分は算数が苦手なのが骨身に沁みていた。

なので、小学校の卒業文集には、「中学生になったら頑張りたいこと」の欄に「苦手な算数を克服したい」と書いた。ら、福井という名の担任が「中学生になったら算数じゃなくて数学」といちゃもんつけてきた。

まだ数学をしたことがないのになぜ数学が苦手と書かなければいけないのか、釈然としなかったが、教師とはバカ、自分のわがままが通らないと満足できないバカだから、バカに反論しても自分の労力のムダなので、じゃあ好きなようにすれば?と思って「数学」と変えさせてやった。ちなみにその「算数」から「数学」への文字の書き直しは、提出後だったので福井がやった。おえー。