小学生の頃から東京に行こうと決めていた

 

10代の頃、高校卒業するまで思ってたのが、日本は何もかも東京中心主義だから、それならいっちょ東京行ってやろうじゃないか、ということ。

自分は母方は石川県で、母親は大阪出身、父方はずーっと京都で、東京には縁もゆかりもない。知り合いも誰もいない。けれど、私は京都が、実家が、学校が嫌だったので早く家を出て、東京に行こうと、中学生の頃に決めた。

 

日本は何もかも東京中心で、行政だけでなく、テレビ、新聞、果てには創作物までも。東京が東京の地理を知っているのが当たり前で、そうでないと分からないことが多すぎる。

例えば小説なんかでも、東京の地名が当たり前のように出てくる。小説なんか、ヒマな人種の代表格老人か子どもが読むことが圧倒的に多いのだから、分からない地名出しても萎えるだけなのになあ…。子どもの私は思っていた。

東京中心主義がひどいのはテレビ。東京に住んだことのある人しか分からない情報が多すぎる。新聞はテレビほどでもないが、同じようなもの。今はテレビも新聞も見ないが、私が10代だった2000年代はまだテレビ、新聞は影響力が強かった。だから、今のようにどちらも凋落しているのは、色んな意味でツケが回ったのだろうと思っている。

 

中高生の時に考えていたのは、地方の大学から東京に就職するのは大変だが、東京の大学からは、東京で就活するにせよ、もし大学在学中に気が変わって地方に行きたくなっても、就職活動はやりやすいだろうということ。

地方の大学から体力と時間と金を使って東京に出て来て、土地勘のない東京で就活するのはかなり難易度が高いだろう。就活以前に、体力、金銭の限界がきそうな状況。東京の大学に行けば、東京の地理は大体見当がつくし、就活後も自分の家にすぐ帰れる。結局就活せず、バイト先に就職したが、中高生の時はそんなことも考えて、絶対東京に行くつもりだった。

実際東京に出て、東京出身の同級生と話をしてみれば、東京で生まれ育った人でも、何でも東京のことを知っているわけではなく、案外自分の生活圏のことしか知らなかったりしたけれど、それは多分まだ大学生、この前まで高校生だったからだろうな。

今でも、毎朝起きた時に、高校までの人生とは違って、頭のいい人たちに囲まれていることに神に感謝しているし、毎日、東京で生活できていることに感謝している。