高校生の頃、進路について考えていたこと

中学生くらいから、自分が精神的におかしいのではないかと思い始めていて、精神・心理方面に関心があった。

なので、進路もそちら方面も念頭に置いて考えていた。

私は中身は文系オブ文系で、大学も結局文系に進学したけれど、高3の頃も理系クラスにいた。

自分が文系だということは自覚していたけれど、得意なことを伸ばすより苦手なことを潰すのに注力するという、発達障害特有の?要領の悪い頑張りをしていた。

もう一つ理系クラスにいた理由があって、私の高校は希望すれば全員がエスカレーター式で付属の大学(同志社というところです)にいける学校だったのだけど、その当時は95%くらいが内部進学するから、皆勉強しない。センター試験なんかやらしてみたら絶対できないだろうな、って感じの学力。教員もそんな環境に浸かっている人々だからバカ。そういう環境、しかも女子校で、女は理系苦手な奴多いから、文系クラスに行くとバカの中でもバカが集まる。理系クラスは外に出ていく人が集まる。だから、バカな文系内部進学の連中と同じ空気の中にいたくなくて、理系クラスにいた。

高3に上がる前、高2の秋に理系クラスか文系クラスかどちらを選択するか希望を出して、その後は絶対に変更できないことになっていて、私は理系に希望を出したけど、やはり文系に変更しようと届けを出そうとしたら、担任はヒステリーな音楽の女の教員だったが、ヒステリーに「変更できないっていったでしょ」などと言われて結局上記述べたように理系クラスに行った。その教員はほんとバカだったなあ、他にも思う所があり、今でも思い出すと恨んでいる。

 

文系で進学するとして、文系で心、精神を扱うと言えば心理学がまず思い浮かぶが、高校の嘱託のカウンセラーが役立たずだったのと、心理学は学問以下の印象を持っていたので敬遠した。

嘱託のカウンセラーは40がらみの女だった。まあ女子校だから女がやってくるわなあ、という感じだったけど、他の人に言わないでくれと言ってこちらが話していることを、担任にも親にも筒抜けだったことで、半分まあそんな気もしていたという感じもあったが、そのおかげで周囲の誰も信用できないという確信がますます強化された。

 

後に別の高校に通っていた5歳年下の妹も、高校生の時にカウンセラーを薦めらる出来事があったようだが、その時母親は「〇〇(私の名前)もカウンセラーかかってたんやで」などと言っていたらしい。

正直、お前が母親としての役目を果たさず、頼りにならない人間だからこちらに皺寄せが来ているわけで、それをさも何か後ろめたいかのように言うその相変わらずの思慮の無さには、妹から聞いた時にはまたしても呆れた。

大学生になってから、心理学方面、特にメンタリストとか言ってるバカには胡散臭い奴が多いのを発見して、やっぱり心理学関係は、医者になるほどの学力がない人たちだから、そっちに進まなくてよかったなあ、と思った。

 

理系の最高峰が医学部だとすれば、文系の最高峰といえば哲学だと中高生の頃は考えていて、私も文学部哲学科に憧れていた。結局東大にも京大にも行けなかったけど。

 

私は外国語専攻だけど、本当はあまり外国語には向いていない。

大学の成績も、語学は「優・良・可」のうち「良」か、悪い時は「可」で、その他は「優」、数回だけ「良」、一回だけ「可」だった。

この結果からも分かるように、外国語というよりも、文学部、という感じの中身の人間で、高校生の頃は古文が好きで、必要もないところの品詞分解をして、合ってるかどうか教科書ガイドに照らし合わせる、みたいなことをしていた。

でも漢文はまた苦手だったんだよな…。ほんと「日本語」って感じの人物だと思う。でも外国文化には憧れている。(とりとめのない段落…。)

 

私は理系全般の素質がないから医学部は無理だったな…。

早く実家と縁を切りたかったから、自分で稼げるように、理系なら食いっぱぐれがないと中高生の頃は考えていたから、生きていくためには理系の方がいいと思っていたけど理系の能力なかったから、もし無理して理系に進学しても、大学でついていけなかったかも。そう考えれば、もともとの資質に従って文系行って良かったと20代半ばくらいそう思った…。

 

だから、国立文系の、自分が受かりそうなところでいちばんレベルが高い、東京の、女子大ではない大学で、一クラスの人数が少ないところを探して、そこ一本に絞って勉強し、進学した。