子どもの頃から音に敏感で、同じ年齢の子どものがなり立てる声を聞くと錯乱しそうになっていた。
幼稚園、小学校の頃は、子ども特有のワアワアわめく声が、同世代ながらうるさくて、耐えられなくて、せめて自分は絶対にそんな声を出さないようにしようとしていた。
だから、すごく静かな子どもだったと思う。
興奮の赴くままに声を張り上げる子は突然そういう声を出すから、それがまた嫌で、その突如発する奇声を耳にするたびに、頭がおかしくなりそうだった。
そこから自分を守るために、意識して解離して、自分を外界からシャットアウトしていた。
そうしないと、ほんとに精神病の錯乱状態になりそうだった。
『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』(栗原類)では小さい頃から音に敏感だった、というエピソードが出てくる。
私もまったく同じ。
幼稚園で幼児ががなり声で歌う声、他の幼児たちはうるさいと思わないのか。私はうるさいうるさいと思いながら我慢していた。
喋る時の声の出し方も、歌を歌う時の正しい声の出し方も、義務教育では教えてくれない。
体育でも、正しい体の使い方をどの課程でも教えてくれない。
だから、音楽も体育も向上しない。教育とはいえない。
体育も、音楽も、ほったらかしにして、だた、子どもに、教育指導要領に載ってるノルマをやらせているだけ。
体育も音楽も、生まれつき得意な人だけが評価されて、苦手な者はどこをどういうふうに改善すればいいのか全然「教えて」もらえず、無駄に時間を削り取られているだけ。
そういう、日本の教育の質の低さをいつも考える。