喋りたくない。選択性緘黙を疑っていた。けれど、どうやらそうではないようだ。
発達障害の人は喋り過ぎてしまう人も多いというが、私はその正反対。
むしろ、私は、できるだけ声を出したくない。
女性同士のガールズトーク、ムダとしか感じられない。これは、ASDのトレーニングをしても、対処できないらしい…。
2018年頃、28歳の一時期、選択性緘黙を疑っていたけれど、どうやら違うようだった。
私にとっては、黙っているよりも、喋る方が努力が必要だ。
本当は、喋りたくないけれど、喋らないとこの世で不都合なことが多いから、仕方なしに、必要な時だけ、喋っている。
小学校1年生の時は学校でも全然喋らなかった。家でも、習い事先でも、自分から喋るということが全然なかったと思う。
学校であまりにも喋らないと、人からナメられるということに気づいて、小2から、努力して、外で喋るようになった。
小3になる時にクラス替えがあって、新しいクラスになって、新しいメンツになってからは意識して「普通」に見えるように振る舞うようになった。それも毎秒毎秒努力してそうしていた…。
だから、実を言うと、そのときも今もずっと、本心では、喋りたくない。
恐らく、一生こうなんだろうと思う。