「やる気がない」と勝手に決めつけられることについて

・やる気はあるのに「やる気がない」と言われる。

子どものころからよく言われる…。私の事を知らないくせに、一方的に決めつけて、投げつけられるこの言葉は、正直、殺意が湧くほど怒りがこみあげる言葉。

中学生の頃の部活の「先輩」(先輩だと思ってない。バカだと思ってたが…。)、学生時代の教員からも勝手にそう思われていたと思う。

毎回思うのは、じゃあ、「やる気」があるように「演技」しないといけないのか?ということ。

やる気があるように見えるだけで実際はやる気のない人間と、通常時と見た目は変らずとも結果を出す人間を、結果が出る前に、お前らは、どうやって見分けてるんだ?

たぶん、世の中の人々にとっては、結果が云々よりも「空気」が大事なんだろうな。私に言わせれば、脳に麻酔薬でも注入したのか、(脳が働いていない、理性的にものを考えられないことの比喩)という話。

毎回、この「やる気が~」には心底怒りを覚える。

 

私は、「やる気があるように見える」演技をするだけでエネルギーが枯渇して、実際にやるべきことに回すエネルギーがなくなるから、そもそも「やる気を見せる(というか見せつける)」気がない。

というか、「やる気」を見せる「演技」などせずに、なりふり構わずやらないと、何事も本気でやっていることにはならないのでは?と思う。

 

やる気ある、というか、ちゃんと真面目にやることやってるのにやる気がないと思われることは、どうせ他人には分かってもらえないんだ、という確信の根拠の一つになっている。

どうせお前らには私の事は分からないんだろう、じゃあもう関わるな、と思う。