民度の低い京都の人の公共の場でのふるまい
公共の場で子どもがぐずついて、さらに悪化するとわめきはじめることは、よくある。それ自体は、子どもとはそういうものだから仕方ない。
そういう時、重要なのは、その子を連れている親の行動で、地元の京都の人たちと、東京の人たちとでは全然そのふるまいが違う。
子どもがわめきはじめたら、東京の人は静かにさせるか、どこか別の場所に連れて行く見識があるが、京都の人は親も自分の子どもにつられて怒って、一緒になってギャーギャー言っている。動物か。
子ども連れが公共の場でヒステリー起こしてるのを見聞きするたびに、そんなにイライラするくらいならそもそも子ども作るなよ、と自分も子どもながらに思ってた。
東京ではあまり見かけないが、地元ではそんな親子がいっぱいいる。
子どもがいたら、そういう事態になるのが子ども作る前から想像できるやろ、と。
バカが何も考えず妊娠したんだろうなあ、という感じ。
そんな事を子どもの頃から何十回も考えてる。それが子どもを欲しいと思ったことのない理由の一つでもある。
京都は民度が低い。民度が低い、というのは、知的レベルも低く、経済レベルも低いということだ。
そういう層は、精神的にも金にも余裕がない環境で育ってきているから、ひねくれいて、卑屈で、人の足を引っ張って、というような、人間性の低い人間ができあがる。
またそういう人たちっていうのは、ムダに声がデカい。
外での会話は、丁度相手に届くくらいの音量に調節してしゃべるところを、そういう低層者たちは、十数メートル離れてても聞こえるような大音響でしゃべっている。
地元では、老若男女、意地汚くうるさくしゃべってる。自分の親も。
帰省は三日が限度。京都に行くたびに、必ず一度は嫌な目に遭う。見知らぬ他人から、または実の親から。
いつも、帰省から帰ってくると、ああ、自分の家に帰ってこれてよかったー、と三十回くらい思う。
もっとも、これからはもう実家には足を踏み入れないことに決めたが…。