実家では人権がない。座敷牢、刑務所の独房より酷い。
この記事は、このブログ見に来た人全員に読んで欲しい。
監視目的で、実家では、私が小学生、11歳くらいの頃に私と妹が使っている部屋のドアを、父親(中村信次)が取り外した。
取り外されたドアは隣の弟の部屋に置かれていた。
弟の部屋もドアが取り外されて、私と妹の部屋のドアと縦に積んで置かれていた。
家建てて四年目で、子ども部屋のドアを取り外すとか、正気の沙汰ではないことが分かってもらえると思う。
ドアが工具で取り外されているのを、なすすべもなく眺めていたのを今でもその日の時のように思い出せる。
それを考えると、全てのものを壊したくなる。親には死んでほしい。自殺して欲しい。
子どもの部屋のドアを取り外すなんてことを、母親(中村郁代)の方はおかしいとは思ってなかったのだろうか。
たぶん、いつも通り、めんどくさいから、放置なのだろう。
何か言えば、また父親がヒステリー起こして一人で逆上してギャアギャアわめくから。
それから、高校卒業して、十八歳で家を出るまで、ずーっと自分の部屋にはドアがなかった。
そんなこと学校の同級生には言えない。
自分の、生まれ育った家が、自分のせいじゃないのに、恥かしいことが、この一件に象徴されていると思う。
なんでドアを外すのかきいたら、「見えないと何してるか分からんから」などという言い分。
まるで、子どもが、前科者であるかのような扱い。
今思えば、子どもに対してそういう扱いをするということは、自分のほうに何かうしろめたいことがあったんだろうな。
当然、子ども部屋以外の部屋は、全て、ドアがついたまま。
父親は二階の半分を占領する部屋を使っていて、その部屋の両端にドアがあるのだが、そのどちらのドアもついたまま。
母親の部屋は二階の父親の部屋の反対側にあるが、そこも、ドアはついたまま。
自分の部屋は、一つの部屋を自分と妹で半分ずつにして使っていたが、妹は5歳下なのでその時は6歳、年齢的にも幼くて、全然部屋を使ってなかったので、ほぼ、私の部屋のようなもの。
弟も、私が11歳の頃は、三つ年下なので8歳、あまり部屋を使ってなかった。
だから、実質、私だけが子ども部屋を活用していた。
そんな状況下で、「何してるかわからんから」などと言われてドア外される。
怒りを覚える。
普通の人間なら、親に何かしているだろう。
わざわざ工具使ってドア外しに来たときの無力感は言葉では言い表せない。
それも、子どもが部屋にいる時にやってきて、わざわざ子どものいる前でドア取り外す。
死んでほしい、死んでほしい。
自分が何をやったかを痛烈に感じながら、苦しみながら、早く、今すぐに、死んでほしい。
ドア取り外されてるときに、何か言っても言うだけムダ。
わあわあわめいてヒステリー起こすだけだから。
そんなことは、それまでに何回も一方的にヒステリー起こされ、怒鳴られ、叩かれてきたことで分かってる。
年頃なのに、そんな生活を強制されていた。
人権のない家。
弟は、その後、中学生になったばかりの頃に、部屋を取り上げられて、一階の、居間の隣の座敷で寝起きしていた。
親を殺す人の気持ち、よく分かる。