親に虐待されてきた人生

父親、中村信次

 

母親、中村郁代

 

父親はずーっと教員で世間知らず

教員のくせにすぐヒステリー起こして殴ってくる。

小学生のときから親だと思ってない。

 

理性のあるはずの人間なのに殴るということは、人間ではない。

犬以下。

 

郁代は、信次に子どもが異常な剣幕で怒鳴られ、殴られていても止めない。

本心では見ないフリをしたい。母親も同罪。

 

小学校二年生のときからそんな虐待がはじまって、その雰囲気の家庭の中で、18歳で家を出るまで暮らしてきた。

 

ヒステリーは両親共通の特徴

子どもなんか作るなよ。

 

同じレベルの人間同士がくっついて、物事を突き詰めて考えることができず、物事の思考速度が遅い。

物事の本質を見抜いたり、物事の全体像を把握することもできない。

そして、その欠陥を補うほどの人間力もない。

知人、友人が少なく、誰も、助言してくれる人がいないから狭い視野の中で凝り固まった思考で生きている。

そうやって未熟な人格のまま何十年も生きている。

 

親戚を見渡しても賢い人がいない。

もっと優秀な人々に囲まれて育ちたかった。

だから、自分の成育環境を思い返すといつも、優秀な他人から学んでいいところを取り込んでいかなくてはダメだな、という結論に至る。

だから、私は、頭が悪い人が大嫌い。金持ちで環境に恵まれてるのに勉強してない中高の同級生なんかは、なんでこの人たち生きてるんだろう?って思ってた。

 

発達障害は完全に遺伝。

父親がADHD傾向で母親がASD傾向。

 

こうやって実家のことを思い出して書いていると、怒りと、こんな親のもとで育った無念さで何も考えられなくなる。

 

親に虐待されるとはじめは死にたいと思う。(小二のころ)

次に殺したいと思う。

 

はじめは、自分は、人間不適格者だと思う。

次に、親に殺されないように、親を殺したい、と思う。

肉体的殺されないように。心は、虐待を受けた時点で、半分、殺されてる。

 

それでも、少年院入ったらそれまで我慢してきたことがムダになるから、力で反撃すらせず、18まで我慢して、家を出て、今まで生きて来た。

子ども時代に関わった人の中でも、見る目のある人は気づいていただろうな、家の中だけで行われていることを。