実の母親が、何回も何回もわざと嫌がるような事を言ってくることについて

母親は中村郁代という名前。旧姓は中野。

 

実の母親に何回も何回も「変わってる」と面と向かって言われてきた。

理解しようともせず、言い放つ。

「変わってる、変わってる」と何回も。

その度に、親を殺さないように我慢してきた。

一旦手を出したら、相手が死ぬまでやってしまうと思う、自分は。

だから、スルーを決め込んであげていた。

 

「変わってる、変わってる」と何回も言われて、じゃあ私は人間じゃないのか、そう思って10代の半分くらいは自殺したかった。

「変わってる」と言われる度に死にたくなった。

親殺せば良かった。そうしたら、一生言われない。

 

父親の方は暴力振るってくるし、母親の方は、わざと人の嫌がることを、何回も何回もしつこくしつこく言ってくる。

嫌そうにしてるのがはたから見ればすぐ分かるのに、嫌そうにしてるのを楽しむように、わざと、何回も何回も人が嫌がることを言ってくる。

嫌そうにする反応をするのが楽しいのだろうか。

こういう母親だから、自分は、無反応になったのかもしれない。

小学校の低学年の頃、同級生に無表情などと言われていたが、そりゃこういう親だったら、反応しないように無表情になるのも無理はない。

無表情と言われるのもめんどくさいので、小学校三年のクラス替えを機に、外では演技をするようになった。

 

幼稚園から小学校低学年にかけての頃、母親から何回も何回も「引っ込み思案」と言われていた。

それしか言葉知らんのか?という感じ。

私は実は全然そうではないのに、これもまた虐待の構図と同じ。この頃から、既に、虐待の萌芽が出て来てる。

つまり、自分が引っ込み思案なのを、「勝手に」子どもに「投影」して、さも子どもが悪いかのように仕立て上げ、「罰」を与える。

私は「引っ込み思案」ではなく、むしろ気が強いが、そう言われて育つと洗脳されそうだ。

また幼稚園の私の仲の良いりさちゃんという同級生と私を引き比べて、「りさちゃんは~~(いい子というような意味のこと)」と言っていた。

嫌がってるのが分からないのか、わざとやってるのか、自分の鬱屈を解消するために、子どもが嫌がるようなことを何回も何回も言う。

父親は言葉の暴力のみならず身体的な暴力もするが、母親も言葉の暴力を小さい頃から振るってきた。

 

 母親はわざと子どもに向かって嫌な言葉を投げつけてくる人間だが、外でも同じことをしているのだろうか?

それとも、自分より格下の相手だと見くびって、そういう事をしてくるのだろうか。

もしそうなら殺したい。私のことをナメてるということだから。思い知らせてやりたい。

 

今も、母親は、口を開けば二言目には人をけなすようなことしか言わない。

どうでもいいことから、私の好きなもの、子と、果ては私の勤め先までも…。

正直、実の親よりも、勤め先の人たちの方が、よっぽど私のことを理解してくれてるし、親以上に世話になっている。

そういう人々を侮辱されて、内心では縊り殺したい。

 

「ひねくれてる」と何回も何回も、何十回、何百回も言われた。

私は全然ひねくれてない。むしろすごく率直。よく純粋と言われるが…。

現実を正しく認識できない、いわゆる認知が歪んでるんだろうな、うちの親は。

目に映るものが、全て、歪んだ膜を通してしか見れないのだろう。

 

なぜ本当の親から否定され続けなければいけないのだろう。

しつこくしつこく言い続ける。自分で作った子どもの心を、殺そうとしている。

生れてほしくなかったということか?心を殺そうとしてくるということは?

 

それに耐え続ける自分の精神力は並大抵のものではないと思う。

言い返しても話通じない。何を言っても聞く耳ない。

内心憤懣やるかたない思いを、毎回、抱えながら、聞き流そうと努めていた。

普通の人間なら、とっくに親殺してると思う。

 

将来、いい大学に入って、社会的に信頼を得て、親より強い立場に立つ、というビジョンで我慢を支えていた。

親を殺してもいいが、少年院に入ってしまえば全て無になる。

今、役に立たないクソ親を我慢して後でどうとでもできるよういなるしかない。そう思って18年間も我慢していた。