虐待とは、生きながら心を殺されているということ。

虐待は、生きながら心を殺されているのと同じ。

 

虐待で子どもが死ぬニュースを見るたびに、心も殺されながら、肉体も殺されたんだなあ、と思う。

 

それでも生き延びたものは、犯罪者予備軍になる。

自分もそんなようなものだと思う。

 

こっちは子どもながらにして、生きながら人格を殺されてる。

心を殺されながら生きていく毎日の生活に耐えながら。

 

虐待親に育てられて、社会に出たあと、自分が家庭で親にされたのと同じようなことをしたら犯罪者になるのに、虐待をしてきた親が捕まらないのはなぜか。

 

虐待家庭で育った子が、社会に出る前に、虐待親が捕まればいいと思う。

 

虐待親の方は、うまいこと子どもで家庭内でストレス発散して、子どもの方が溜まりに溜まった鬱憤がもとで事件を起こしても、親は捕まらない。

子どもを隠れ蓑にしているなあ、といつも思う。

 

殺人事件、暴行、世の中のすべての暴力的犯罪のおおもとは家庭で受けた暴力だと、私は思っている。

 

自分も、よく犯罪起こさないなあ、と思う。もっと忍耐度が低ければ、確実に、親を殺していたと思う。

 

犯罪者の生い立ち読んでいると、やっぱり生まれ育った家がダメなパターンが多い。

 

そういうものを読むたびに、他人事ではないと思う。