人付き合いができない両親
自分が小学生の頃、友達を家に呼ぼうとしたら、母親に、人を家に上げないでと言われた。
近所にママ友もいない。
そんなんだからダメなんだろうな。
友達いないんだろうな、うちの親。
あんな人格で友達できるわけがない。
だから子どもを虐待するんだろう。
他人と大人同士のコミュニケーションすらまともにできないくせに子ども育てられると思うのが間違ってる。
子ども作る資格がない。
親の友達が遊びに来たのは、実家にいた18年間で数回しかない。
しかも、昔作った友達。学生時代の友達。
現在進行形の友人ではない。
何かうしろめたいことでもあるのか?昔の友達しか呼べないということは。
一人カルトみたいな夫と結婚した自分の母親。だから呼べないのかもな。
内心ではカルト夫と結婚してしまったことに気付いていると思う。
しかしそれを気付かないフリをするのがうちの母親。
両親とも、現実を見ることができない、自分に都合のいいことしか見ようとしない人間性。そういう人間同士で結婚している。
自分がそういう人物であり、自分が選んだ配偶者もそういう人間であることを、今現在関係のある家庭の外部の人間に知られることを無意識下では警戒しているのかもしれない。
自分の誕生日パーティーもしないから、友達の誕生日パーティーにも呼ばれない。小学生の頃は嫌だったなあ…。
狭い世界で、いやもはや世界ですらない。家庭と職場にしか行く場所がなく、クローズドマインドだから精神も思考も発達せず、当然人格も成熟せず、幼稚な人間性のまま、ただ、生命維持しているだけの存在。
それが自分の両親、中村信次と中村郁代。
外で人と関わって、人から学ぶこともなく、一歩家から出たら他人に対して腰が引けた振る舞いしかできない。その、外で溜めたストレスを、子どもにぶつけて解消している、それがコイツら。
母親はしょっちゅう私に、外であった嫌なことを一方的にしゃべってきて、不満をぶちまけ、八つ当たりし、自分の不快感を解消しようとしてきた。
全ては外で毅然と物事に対応することができないのに端を発している。その自分の人生態度が改まらない限り根本的に解決しないのに、そこに思い及ばないのだろう。
いつも都合の悪いことは見ないようにしているから、無意識化では気付いていても改善しようという気がないのだろう。
そうやって、いつまでも腐った根性のまま生きていて、自分の三大欲だけ満足させられれば良いというスタンスで生きてるんだろう、両親とも。
誰の役にも立っておらず、もはや生きてる意味がない。
中村家
父方の家、中村家は変な家。
地元に長い間住んでる一族だが、中村家の人々は変な人間ばっかし。
父親(中村信次)は五人兄弟の五番目で、兄弟は一番目が男、二、三、四番目が女、そして父親が末っ子。
祖父の家(京都市山科区厨子奥矢倉町11-34)を中心に、私の実家や、長男である父親の兄の家などがあり、祖父(中村紀一)は地元で保育園(陵ヶ丘保育園)を作ってそこの園長をしていた。
祖父の死後は、祖父の四番目の子ども、父親のすぐ上の姉(中村かよ)が保育園を継いでいる。
その四番目は祖父の生前は実家に住んでいたが、死後は岡崎のマンションに住んでいる。
今は祖父の家には、父親の一番上の兄が住んでいると思う。
父親の兄弟は、私が物心ついた時にはすでに一番上の兄と、それ以外の四人で分かれて、対立していた。何が原因かは知らん。
その兄は、自分の実家のすぐ近く、徒歩5分くらいの距離に住んでいる。祖父の家(父親の実家)からはもっと近く、徒歩1分くらいの距離。
すぐ近所に住んで、何十年も仲悪いまま暮らして、私には関係ないが、小さい時から仲悪いのを間近に見せつけられているので、私と私のきょうだいたちは、同じ轍を踏むまいと思っている。
子どもの時から思ってたが、きょうだいで仲が悪いとか、ほんとにバカだと思う。
私の父親はヒステリーで、父親のすぐ上の姉もそう。
一家全員、人間性が低いのだろう。
先祖がちゃんと子育てができなくて、それが代々続いているのだろう。だから、私の世代にも、虐待という形でとばっちりがきている。
祖母は私が6歳くらいの時に死に、祖父は私が14歳くらいの頃に死んだが、祖父の生前は、盆や正月に親戚で集まることが多かった。
親戚の集まりは楽しい雰囲気というよりも、義務という感じ。
祖父が死んだときには弁護士だかたてて兄弟で財産分与の協議していた。
きっとその時も兄弟同士で散々けんかしたであろうことはそれまでの経緯から想像がつく。
うちの父親は、祖父が死んで、祖父からの遺産をもらって、滋賀県に山買って農作業用の車買って、兵庫県にボート買って、好きなように贅沢して遊んでいる。
そして、分与された遺産の額は、うちの母親ですら知らない。
自分一人で、遊びのために、使っている。つまり、祖父が死んでなお、いつまでもだらだらと依存している。 公立高校の教員の給料ではそんな贅沢できないもんな。
そのくせ、私が大学進学で上京する際には、月八万円しか仕送りできないことを、とくとくと語ってみせた。
こちらに屈辱を与えるような行為。勉強しろ勉強しろと小さいころからガミガミガミガミ言ってきたくせに、いざ大学に進学する際は金を出し渋る。
身内は殴ってもいいという考え。
きょうだいげんかはその手前。
自分の子どもは自分の所有物とでも思ってるから殴ってもいいという考え。
自殺してる
知ってるだけでも二人
親戚
中村家は
四手井城という山城の跡地にある。
四手井城は本能寺の変の後焼き討ちされたらしい。
そんなところに住んでいる。
先祖の行いが悪いのだろう。
だから代々親戚関係が悪いのだろう。
そのくせ依存しあって生きている。
自律できない人間たちなのだろう。
今では、もう、実家には行かないことに決めていて、 地元の駅に降り立っても、墓参りだけ行く。
墓参りで、先祖に、「早く両親に虐待のしっぺ返しがきますように」「早く両親が死んでくれますように」と祈っている。
私がいい大学に入ったら、態度が急変した実の親
いい大学に入って、実の親の私に対する態度が変わった。
特に父親。
それまで人格無視していたくせに。
弟と妹の大学受験が済んで、それがますますあからさまになった。
弟も妹も一浪しているのに私よりいいところじゃないもんなあ…。
そういった態度が、どういう印象を与えるのか、考えることができない。
思慮がない、自分を客観視できない、愚かな人間。
人として、失格だろう。
私は現役で東京外大だが、弟は一浪して東京理科大、妹は一浪して大阪教育大。
ちなみに父親は大阪府立大、母親は京都女子短大。
結局、「ご長女様」などとこちらが何もしてないのに嫌味を言ってた私が、いちばん邪険にしていた私が、いちばんいい大学入ってる。
実家はメシマズだった。
大学生以降、一人暮らしで、食べたくないものを食べなくてよくなって、すごく幸せ。
うちの母親が作るメシはマズかった。
小学校の頃は、給食マズいと言ってる同級生もいたが、私は給食が美味しかった。
家の食事がマズいから。
家の食事がマズいといっても、朝は自分でトースト焼いて、ジャムか何かを塗って食べる、それだけ。
昼は給食なので、結局家で食べる親が作った食事は平日は夜だけなのだが、それがマズかった。
献立もワンパターンで、しかも嫌々調理するから余計マズい。
イライラしながら食材を切ったり、乱暴に調理器具を扱ったりしているのが、いつも、見苦しかった。
中高六年間は弁当だったが、朝ギリギリに起きて、起き抜けの不機嫌な状態で、夕食の調理の時よりもさらに投げやりに作るからマズかった。
特にマズいのが卵焼き。
湿ったタイプの塩を、塩加減も考えず塊のまま卵液に投入するから、どれだけ塩辛いのか、というほど塩が入っていて、一口食べると頭痛がするような塩辛さだった。
その卵液にまた、小口切りにして常備している半ば乾燥したネギを生のまま入れて焼くから、ネギに火が通ってなくて、ジャリジャリして青臭く、弁当食べてるときに耐えられなくて吐き出したことが何回もあった。
卵液には火が通ってるが、混ぜられている小口切りのネギには火が通ってなくて、乾燥して硬くてジャリジャリしている状態を想像してほしい。食感も、香りもミスマッチで、想像するだけで吐き気がする。
二回ほどそれについて改善を求めたが、逆ギレされただけで終わった。
普段の食事でも、何か文句を言おうものなら二言目には「じゃあ食べるな」なので、言ってやっても意味はないのははじめから分かっていたが。
あまりにも食べられない酷さのときはこっそり捨ててた。
父親は気に入らないことがあると子どもに向かって「誰のおかげでメシ食ってるんや」などと何回も何回も言ってきた。
じゃあ、そんなに子供にメシ食わせたくないのなら、メシ食わせるほどの甲斐性もないのなら、子ども作るなよ、といつも思っていた。
今考えると、モラハラ以外の何物でもない。
今でも覚えているのは、三歳くらいの時、母方の祖父母の家で祖父母と両親と食事をしている最中に、ご飯は一粒も残すな、と言われ、食器棚の上に乗っている茶色い細長い何の像かは分からない像を指して、もし残したらお米の神様に怒られるなどと言われたことだ。
「お米の神様」などと持ち出し、それに「怒られる」から残すななどという論理でしつけをしようという発想が、いかにも古くさい。
両親は、メシにこだわり、量も、大量に食べる。
マズいメシを、大量に食ってる感じ。
子どもに対して二言目には「じゃあ食うな」という家畜扱いをするのは、自分らが畜生レベルの人間だからだろう。
家族旅行
人の家族旅行の話を聞かされると「けーっ」てなる。
自分の生まれ育った家は、家族旅行も車中泊。
ちゃんと宿とらず、車中泊で何日も過ごして、食事はパーキングエリアかコンビニか行き当たりの食堂。
風呂はその土地の銭湯。
こんなの到底人に言えない。惨めな旅。
それでも親は気にならないのか、嬉々として「旅行計画」作り、行きたくもないのに連れまわされる。
しかも、行き先は、親の行きたいところ。
子どもは、それに付き合わされてるだけ。
自分たちの行きたいところに連れまわしてるだけのくせに、「旅行連れて来てやった」と恩着せがましく言ってくる。
別に行きたいと言ってない。そんな事を言うくらいなら置いていけばいい。
京都の山科から、福井の三方五湖、岡山の倉敷、香川の金毘羅などに恩着せがましく言われながら連れていかれた。
あげくの果てにその車中泊旅行で行った兵庫県美方郡香住町の余部鉄橋の近くで居眠り運転起こしてガードレールにぶつかって事故起こしてた。
それが自分が中一の時。
まともに宿とらないからこうなることは目に見えてたが。