中村家

 父方の家、中村家は変な家。

 

地元に長い間住んでる一族だが、中村家の人々は変な人間ばっかし。

父親(中村信次)は五人兄弟の五番目で、兄弟は一番目が男、二、三、四番目が女、そして父親が末っ子。

 

祖父の家(京都市山科区厨子奥矢倉町11-34)を中心に、私の実家や、長男である父親の兄の家などがあり、祖父(中村紀一)は地元で保育園(陵ヶ丘保育園)を作ってそこの園長をしていた。

祖父の死後は、祖父の四番目の子ども、父親のすぐ上の姉(中村かよ)が保育園を継いでいる。

その四番目は祖父の生前は実家に住んでいたが、死後は岡崎のマンションに住んでいる。

今は祖父の家には、父親の一番上の兄が住んでいると思う。

 

父親の兄弟は、私が物心ついた時にはすでに一番上の兄と、それ以外の四人で分かれて、対立していた。何が原因かは知らん。

その兄は、自分の実家のすぐ近く、徒歩5分くらいの距離に住んでいる。祖父の家(父親の実家)からはもっと近く、徒歩1分くらいの距離。

すぐ近所に住んで、何十年も仲悪いまま暮らして、私には関係ないが、小さい時から仲悪いのを間近に見せつけられているので、私と私のきょうだいたちは、同じ轍を踏むまいと思っている。

 

子どもの時から思ってたが、きょうだいで仲が悪いとか、ほんとにバカだと思う。

私の父親はヒステリーで、父親のすぐ上の姉もそう。

一家全員、人間性が低いのだろう。

先祖がちゃんと子育てができなくて、それが代々続いているのだろう。だから、私の世代にも、虐待という形でとばっちりがきている。

 

祖母は私が6歳くらいの時に死に、祖父は私が14歳くらいの頃に死んだが、祖父の生前は、盆や正月に親戚で集まることが多かった。

親戚の集まりは楽しい雰囲気というよりも、義務という感じ。

 

 

 

 

祖父が死んだときには弁護士だかたてて兄弟で財産分与の協議していた。

きっとその時も兄弟同士で散々けんかしたであろうことはそれまでの経緯から想像がつく。

 

うちの父親は、祖父が死んで、祖父からの遺産をもらって、滋賀県に山買って農作業用の車買って、兵庫県にボート買って、好きなように贅沢して遊んでいる。

そして、分与された遺産の額は、うちの母親ですら知らない。

自分一人で、遊びのために、使っている。つまり、祖父が死んでなお、いつまでもだらだらと依存している。 公立高校の教員の給料ではそんな贅沢できないもんな。

 

そのくせ、私が大学進学で上京する際には、月八万円しか仕送りできないことを、とくとくと語ってみせた。

こちらに屈辱を与えるような行為。勉強しろ勉強しろと小さいころからガミガミガミガミ言ってきたくせに、いざ大学に進学する際は金を出し渋る。

 

 

 

身内は殴ってもいいという考え。

 

きょうだいげんかはその手前。

自分の子どもは自分の所有物とでも思ってるから殴ってもいいという考え。

 

 

 

 

 自殺してる

知ってるだけでも二人

親戚

 

中村家は

四手井城という山城の跡地にある。

四手井城は本能寺の変の後焼き討ちされたらしい。

そんなところに住んでいる。

 

先祖の行いが悪いのだろう。

だから代々親戚関係が悪いのだろう。

そのくせ依存しあって生きている。

自律できない人間たちなのだろう。

 

 

今では、もう、実家には行かないことに決めていて、 地元の駅に降り立っても、墓参りだけ行く。

墓参りで、先祖に、「早く両親に虐待のしっぺ返しがきますように」「早く両親が死んでくれますように」と祈っている。