合宿とか人との旅行が嫌い。一人暮らしできることに毎日感謝している。

 

いつも、自分の生活の、秩序通りに暮らしたい。

自分の秩序を、他者に乱されたくない。

ちょっとでも自分の決めた秩序が乱されると、自分の脳みその中身をかき回されるような感覚になる。

 

だから、全く、家族が欲しいという願望が生まれない。虐待家庭で育ったことも大いに関係しているが。

家族を作ったらずーっと演技しつづけないといけない。

和を保つために、気ままに行動することはできない。

そんな生活無理。

 

毎日一人で自由に暮らせることに実家を出てから10年経ってもありがたさを感じている。

人と暮らすのは、自分を偽ることに慣れている「社会的」人間にしか無理だ。

 

他者が近くにいるだけで緊張するので、自分のプライベートに人を入れたくない。

人と暮らしたら、一刻も早くひとりにしてほしいと思うだろう。

片時も一人でいられない生活なんて、想像しただけで発狂しそうだ。

 

修学旅行とか合宿とか、集団で宿泊するのがすごーく嫌い。

修学旅行とか林間学校みたいなのは、よく知ってる同級生と一緒だから楽しめる。ある程度の信頼関係がある人々となら大丈夫なのだと思う。それも二泊が自分の限界なのだが。

 

中学校の部活の合宿なんかは、中高一貫校だから五学年合同で、特別親しくもない人たちと、先輩が決めた全然知らないところに行かされるから、中二、中三の二回しか行かなかった(中一は入学直後だからか?合宿参加なし)けれど、合宿のあいだじゅう、苦痛でしょうがなかった。

合宿行く前から鬱を発症しそうだった。

 

小学校4年の夏休み、私は行きたくないのに親が勝手に申し込んで福井県の365スキー場というところに合宿に行かされた。関西と、その福井の地元から小4から小6までの子どもを集めて開催する教育委員会だったか行政だったかが主催の自然体験合宿みたいなもの。(勝手に応募されたし、子どもだったからよく知らない。)

この合宿は私にとっては刑務所と同じだった。行きたくないのに勝手に強制的に行かされて、二週間も耐えなければならない。しかも、後年、弟と妹がその時の私と同じ年になっても行かされてなかった。親(父親)一人で勝手に盛り上がって勝手に行かされた。

 

中学、高校の修学旅行も疲れるだけだった。自分の通っていた中高は金持ちのバカ女が関西じゅうから集まってくる学校で、そういう人たちは見栄っ張りで中身がない。勉強もしない。そういう人たちと一緒にいるのが学校生活でさえ嫌だったのに修学旅行で何日も一緒にいるのはほんとに苦痛以外の何物でもなかった。学校で顔合わすのもウンザリなのに、一緒に何日も生活を共にして、同じ部屋で寝ないといけない。バカが伝染りそう。

 

高校の修学旅行はもう行きたくなかったが、母親が、私だけ行かなかったらおかしい人みたいやん、などと言うから、もう、学校も親もめんどくさくて、心が死んだつもりになって行った。高二の最後で、受験生になるころだったので、修学旅行のあいだじゅう、ずーっと英単語覚えてた。

 

今でも、毎日、夜、寝る前に、一人で気ままに暮らせていることに神に感謝する。

原因不明のじんましんで夜中に目が覚めても、ノロウイルスにかかって臥せっていても、一人で暮らせる幸せがそれを凌駕している。

 

20代後半のころ、休みの日にプール行って、スーパー行って、家でゆっくりするだけで幸せを噛みしめていた。誰からも文句言われないし、自由に行動できる。一人じゃないとこんなささやかな生活すら気ままにできない。

まともな物件に住めているし、栄養も取れている。

それまでの人生は、ずーっとそうじゃなかった。