算数、数学に捧げた子ども時代[中学、高校編]
中学に入るまでの人生で、すでに、算数が苦手なことをつくづく実感していたので、中学に入学する時は、絶対に、数学だけは落とさない、と決意して入学した。
中学では、数学だけは頑張った。一度だけ通知表4だったが、あとはずっと5だった。
授業は仔細もらさず聞いて、その日のうちに授業でやった内容に該当する、教科書の練習問題と章末問題を解き、章末問題は教科書の末尾に答えが載っているのでそれで答え合わせをし、練習問題は授業中で一度やるので二回目ということになるが、連取問題の答えは教科書には載ってないので、授業ノートを見返して答え合わせをした。
高校生になって、教科書ガイドという便利なものの存在を知り、高校からはノートを見返したり、教科書末尾をひっくり返したりとわずらわしい動きなしに、教科書の問題は教科書ガイドで採点することができるようになったのは自分的には画期的な出来事だった。
話は脱線するが、高二のとき、数Bの教科書ガイドを学校で盗まれたことを今でも覚えている。
毎日、必ず、数学の問題集をやって、教科書の問題は、授業のノートを見なおして、解きなおしをし、そんな風に、毎日1~2時間ほど数学に使っていた。
中学指定の問題集は、よく使われている、新中学問題集、高校の指定問題集は4STEPだった。
4STEPは、ボロボロになるまでやり込んで、必要ないのに上京するときにも携えていき、大学に入っても捨てられず、20代後半でやっと決心がついて捨てられた。もう数学なんかしないのに。
数学の授業のあった日は、問題集の中の、その日授業でやった範囲の問題を必ず解き、答え合わせをして、できなかったものはやり直し、絶対に、今日の授業の内容を、その日のうちに理解できるようにしていた。
定期テストまでに、問題集の定期テストの範囲、教科書の問題、ともに最低三周することを自分に課していた。
それでも苦手な問題は、絶対にできるようになるまで繰り返して解いていた。
どうしても苦手な問題というものがあって、そういう問題は、7回とか12回とかやっていた。
問題番号の横に「正」の字を書いて、解いた数をカウントしていたなあ…
一番苦手な数学という科目に、一番時間も労力も割いていた。
高校からは英語もそこに加わったが、中学時代は、「他の科目はいいから、とにかく苦手な数学を克服する」という強迫観念で、頭の中はいっぱいだった。
中高六年間で、数学の授業は、風邪を引いても出席していた。
一度だけ、中三の冬にノロウイルスにかかって一週間ほど休み、そのときに二回だけ休んだ。
数学センスがないことは、すでに中学受験の算数で判明済みだったので、もともと数学が苦手な自分は、一たび分からなくなったらその後絶対についていけないことが自分で分かっていた。
だから、何としても取りこぼさないように、必死に授業を聞いていた。
「絶対に脱落できない」といつも思っていた。
中学に入ったころに、どんなに数学が苦手でも、国立のいい大学に行くにはたとえ文系でも数学が絶対に必要なことを知った。
最低でも数Ⅰは必要。
旧帝大レベルなら数ⅠAⅡBがいる。
それも、センター試験で満点近くとらなければいけない。
だから…できなくても頑張るしかない。
興味なくても、素質がなくても…頑張るしかない。
苦手でも絶対に避けられないのなら、いっそできる限り打ち込もうと腹を決めたのだった。
自分の通ってた同女という学校は、98%くらいが内部進学で同志社大学へ行く。
望めば、どんなにアホでも商学部には行ける。ちなみに、商学部は「楽勝学部」と言われている。
だから、皆、ろくに勉強しない。
勉強する子も、自分の好きな科目だけはがんばる、といった感じだ。
女子校なので、理数系が苦手な奴が多い。
授業自体も、進学校ではない公立校と同じくらいの進度。遅い。
進学校の私立中高一貫校は、高一で高三までの範囲を終わらせるくらいの速さで進むところが多いが、同女はバカなので、高一は高一の教科書を一年間かけて終わらせ、高三で一年間かけて高三の教科書を終わらせる。
そんなことをしていたら受験に間に合うはずがない。
タラタラ授業やってる同女にいる自分は、自分一人で進学校レベルのスピードで進めていくしかないが、自分の能力では、学校の授業進度にキッチリすいていくのが限界だった。
逆に、学習レベルが低いだけあって、定期テストは、教科書と問題集を完璧にやっていれば、ほぼ毎回満点近くとれた。
たぶん進学校なんかだったら賢い子が多いから、絶対授業内容だけでは解けない問題とか、難関大学の入試問題、数学オリンピックの問題みたいなのが定期テストで出るだろう。
同女では、定期テストで見たことのない問題、大学入試レベルの問題なんて見たことがない。
金持ちの我儘なクレーマー保護者が多そうな学校だから、解けなさそうな問題出したらクレームくるのかもな。
これだけ時間と努力を投入して、のんびりやってる学校で、まずまずの成果が出た、と中学三年間が終わった時に自己判断し、自分も頑張れば数学できるようになるんじゃないか?と勘違いしそうだった。
そして、嫌々ながら高校に内部進学した。
高校に内部進学するのは内心嫌だったが、親のせいで行かされた。
高校は、もう人間関係を作る労力を割くのが嫌で、授業をきくため、大学受験に必要な学力をつけるため、高校を卒業するために通うことに、高校入学時点で決めていた。
高校での数学で、最も苦労したのは数Aの行列・確率だった。
高二になってまた数Bで確率が出て来たときはオエーと思ったが、それを自分の心の中で押し殺して、取り組んだ。
私が比較的得意なのは、図形、方程式。たぶん、自分でアクセサリーを作ったり、絵を見るのが好きだからモノ形をイメージするのは数学苦手にしても得意なのだと自分で思ってる。
方程式は、公文で8年間さんざん計算を死ぬほどやらされてきたから、そのおかげだと思われる。
関数は、方程式の延長線上にあるが、思いっきり努力を投入してできるようにした。
得意とは言っても、もともと数学センスのある人たちに比べれば全然だと思うけど…。
逆に、行列、確率は全然イメージができない。
時間とエネルギーを投入しても、テストは100点満点で、89点だった。
いつも、97点くらいが自分の普段のテストの点数で、80点台だと、自分的にはかなり悪い。
確率の単元に入る前の「場合分け」のところで、自分的にはいやな雲行きを感じていた。
「確率」まで進んでやはり予感が当たっていたことが分かった。
それらの単元が終わった時はホッとしたものだが、2.5年後にやはり、センター試験で「場合分け」の問題で失点した。
こんなに頑張って、膨大な労力と時間を賭けてきたのに…とショックだった。
センターの過去問を解いてるときも、いつも、「場合分け」「確率」がネックだった。
今でも、31歳になっても、このことを思い出すと、無力感を覚える。
本当は算数も数学も好きじゃないのに、これだけ努力して、時間も割いて、毎日何時間も勉強してきたのに…たぶん数千時間はかけてる…なのにセンターの数学は思ったほどとれなかった…死に物狂いで頑張ってきたのに…。
それでも、センターが終わっても気を落としてるヒマはない。二次試験がある。何とか挽回して受からなければ。
落ち込んでいる余裕もないというのは、精神的に辛い。
後期は外大の後期しか受けてない。
前期は、もしセンターが良かったら京大を受けようかと思っていたが、日本史も世界史もその他も悪かったので、もう、出願すらしなかった。
出願するだけでもカネがかかる。
受かりそうもないのにカネをムダにしても…と考えた。
もし浪人したら、死ぬ気で東大目指すつもりだった。
私は同女で私立のバカさにほとほと嫌気がさしていたので、死んでも、私大には行きたくなかった。
滑り止めで受けるのも嫌。受験料が大学の収入になるから。
外大の後期は英語と小論文。
それらの対策を、センターが終わってから試験日の3月11日までの約二ヵ月やって、何とか合格した。
結局、高三の一月で、幼稚園で公文に入ってから続いた算数、数学との格闘の歴史は終わった。
大学に入ってから、塾のアルバイトで算数、数学を教えることはあったが、もう、自分で勉強することはない。
十年以上、算数、数学に苦しめられてきた。
自分なりに必死で頑張っても、素質がなければこんなもの。
高校二年生までは理系か文系かで迷っていたけれど、下手に理系の大学行かなくて良かったと思う。
外大にも、一応、自由選択枠で数学の授業が二コマくらいあったけど、必修ではないので、とってない。
外大で数学や物理の授業をあえてとる人は、かなり奇特な人だと思う。
大学以降は、日常で使う四則計算しか、算数を使ってない。
自分にとって、算数、数学はずっと重荷だった。
子どものころから、公文でも、中学受験の算数でも、涙を流しながら机に向かって、それが、学歴を得た一つの要因。
だから、歪んだ見方かもしれないけど、自分より金銭面でも環境でも恵まれた環境にいるのに自分より学歴低い人、例えば同志社女子の同級生たちなんかは、頑張ってないんだな、というふうに見ている。
それで、大学受験のような人生の大事なポイントで頑張れないような人は、その後も大した人間にならないだろうな、と中学高校生の時から思っていた。
私は本来は、英語も数学も他の教科も、そもそも勉強自体得意じゃない。
でも、いい大学行かないと道はひらけないから、親は虐待するし、地元は民度低いし、勉強で頑張っていい大学行ってそこからやっと自分の人生がはじまるという育ち。
地元にいたら腐ってしまう。
だから、地頭が良くなくても、要領悪くても、体力がなくても、力ずくで勉強するしかない。
25歳くらいでやっと分かった。苦手なものは努力してもできるようにならない。
得意なことに注力した方が、人生が有意義。
根本的に苦手なものは、いくらやっても、できるようにならない。