同志社の「内部」、「外部」という表現

 中学から高校へ上がる時、高校から入学してくる人々がいる。10人くらい。

高校から大学へ上がる時は、大学から同志社に入学する人は何千人もいる。

系列校から持ちあがってきた人を「内部」、節目節目で新しく入ってきた人を「外部」という。

外部とか内部っておかしな言い方。はっきり云えば、差別的な表現。

内部は偉い、純血。

純血の最たるものは幼稚園も同志社行ってた奴だ。

対して外部は異質という頭のおかしい価値観。

職員、教師が内部・外部という言葉を日常的に使って、生徒を洗脳してゆく。

キリスト教系云々ではなく、同志社教だ。

気持悪い。

実際は内部生の学力なんか惨憺たるものだ。

内部は偉いという見せかけの上位付けを自ら行って、実際は学力ばかりか品性のないのを隠ぺいしている。

それがおかしいと気づかれないだろうと高をくくってる思慮のなさまで明示してしまってる。

関わりたくないなあ。こんな組織。