児童虐待の定義にすべて当てはまる自分の実家

〒607-8452 京都市山科区厨子奥矢倉町19 中村信次 中村郁代

 

1)身体的

父親が暴力的だから、理性のない動物と同じ、

いや、人間なのに、動物と同じ振る舞いをしているということは、動物以下。

この思考を、今までに、何百回、何前回も自分の中で繰り返した。小さい子どもの頃から。

 

2)心理的

両親とも、わざと子どもに嫌なことを言ってくる。

自分の意向を、子どもに押し付ける。それで、その通りにしないと、すぐヒステリー起こす。

子どもをだしにして、自分のストレスを解消する。一方的に嫌な出来事を言い、最後は、子どもに嫌な言葉を投げつけて、自分のストレスを解消しようとする。

 

自分の親は、自分とか自分のきょうだいに対して、子どもが何かうしろめたいことでもしているような扱いをする。

たとえば、別の記事で書いたように、子ども部屋のドアを「隠れて何かしているかもしれないから」という理由で取り外したり。

何もしてないのに、そういった扱いを子どもにするのは、反対に、子どもを、非行に導くような行為だと思う。

なぜ、そういった行為をするのか。それは、自分たちに、虐待をしている自覚が、どこかであるからだろう。

そのうしろめたさを、子どもに、勝手に投影して、さも、子どもが悪いことをしているかのように扱う。

そうやって、自分の中で、罪の意識を自分から子どもへ、置換しようとしているのだろう。

実際は、そんな事で、罪の意識が消えるわけがないが、それが分からないのだろう。

そこまで、物事を考えられない。頭が悪いから。物事を、突き詰めて、考えられないのだろう。

 

本当は親を殺したい、何回も手を上げられているから、暴力で報復したい。

でも、一度も手を上げたことがない。強靭な自制心が、私には備わっていると思う。

 

口でわざわざ言い返してやる、そのエネルギーがムダ。

わざわざ言ってやって、考えが変わるような奴らではない。

内省できる資質がないから、何年も、何十年経っても、学びのないまま変化しないんだろう。

バカは、最初から相手しない方がいい。

実の親とか関係なく、子どもの頃からそう思ってる。

人は結局自分で気付かないと変わらないが、何十年も生きてきて気付きがないということは、自分より下に見ている子どもが、自分に何を言ってきても、意に介さないから効果がないだろうことは明白だ。

いつも親に関してそう考えてる。関わってもムダな相手だと思ってる。

実家にいたときからいつもその思いを抱えてるから、余計ストレスが溜まる。