父親(中村信次)が、祖父の家(実家。京都市山科区厨子奥矢倉町11-34)で親戚同士でけんかをはじめ、食器棚から次々食器を出して割り出した出来事について

小学校五年のときだったから2000年ごろ、近所の父方の祖父の家(京都市山科区厨子奥矢倉町11-34)で親戚で集まって食事をしていたときに、父親が自分の姉、私から見ればおばと喧嘩をはじめて、父親が次々と食器を割りはじめた出来事があった。

 

その時そこにいたのは、祖父(中村紀一)、祖父の弟の子(ひでちゃんと呼ばれている。本名は知らん。祖父の弟の子なので姓は中村。男。自分の父親からするといとこ。)、父親の姉(中村かよ。私からみればおば。)、自分を含めた父親(中村信次)一家五人、その計八人。

 

それらで集まって確かすき焼きをし、食事も終わりかけたころ、おば(中村かよ)と自分の父親(中村信次)が言い合いをはじめた。

 

保育園の愚痴をおばがこぼしていたらいきなり父親がキレ出したのだったと思う。

 

父親はダイニングキッチンの食器棚から次々と皿を取り出して次々床に叩きつけた。

次々取り出しては割っていく。

 

父親以外の人間がいたのは居間。

ダイニングキッチンと居間の間には仕切りとしてガラス建具があるが、いつも開け放されているので、その二つの部屋はつながっている。

 

父親が食器を割り出して、はじめのうちはみな固まっていたが、父親きょうだいのいとこであるひでちゃんがおいおいといった感じになり、祖父は結局効果はなかったが収めようとしはじめた。

我々子どもたちは破片が飛んでくるかもしれないから玄関の方に避難するように言われた。

 

ダイニングの床は破片だらけになった。

 

こうやって、自分がキレてるところを見せつけるのも自分を憐れんで欲しいという 欲求からきている。幼稚である。そして、自分がそうやって醜態を見せつけていることが、幼稚であることに思い至らない。いつも、自分の行動が人からどう受け止められるか、ということに気が回らないのだろう。脳みそが足りない。

 

二人で何で言い争っていたのかは知らんが、どうせ仕事の愚痴だろう。

そのとき父親がヒステリックにわめいていたのは「こっちだって子ども三人もいて家族五人暮らしていかなあかんから毎朝早く家出て仕事してるんやで」。

そう言って次々お皿割り始めた。

そんなこと言うなら子ども作るなよ。射精すんな。三人もって、子ども作ったんお前やろ。

しかも「子ども三人もいて」などと、当の子ども本人たちの前で言う。そんなにイヤなら家族作るなよ。

 

我われ子ども三人は、ひでちゃんに付き添われて先に自分たちの家(山科区厨子奥矢倉町19)に帰った。

ちなみにひでちゃんの家はこの祖父の家のほぼ斜め前にあり、ひでちゃんの母親は私の生まれる前にこの家で首吊りしている。

 

中村一族は頭がおかしいと思う。

親戚同士でも仲が悪い。

上記のように父親とそのすぐ上の姉はいい年してしょっちゅうけんかしてるし、すぐ近くに住んでいる一番上の兄と、それ以外のきょうだいもまた分断している。

それを小さい頃から見せつけられて、我々きょうだいは育ってきた。

 

父親が皿割った大騒ぎの後は、母親と、祖父が後片付けをしたらしい。

自分は家で弟と妹に風呂入らせて、自分も風呂入ったころに親は帰ってきた。

 

祖父(中村紀一)はいちばん下の息子をこんなふうにアホに育ててどんな気持ちだったかな?

四十半ばにして未熟な人格の息子のかんしゃくの後片付けをすることについては確実に、情けないとは思うだろうな。

 

大正生まれの祖父は、近くの私の実家にもしょっちゅう夕飯を食べにきていたが、全くフレンドリーな人物ではなかった。

同じ祖父でも母方の祖父とは大違い。

母方の祖父は人好きのする人物だった。

中村紀一は全然、話しかけてくれなかったし、こっちが話しかけてみてもあまり返答しない奴だった。保育園(陵ヶ丘保育園)やってるのに、孫に対してすら自然に接することができない。

一体何を考えてるのか。我々きょうだいの名前を呼ぶこともほとんどなかったけれど、そんな時も弟にはくん付け、私と妹は名前で呼び捨て。男尊女卑の古い人間。

 

こういう人間だから、たぶんもっとさかのぼった先祖も人間性の低い人々なのだろう。

だから、親戚同士で仲が悪く、我々も迷惑をこうむって、虐待されてきた。

 

今でも自分の父親はおばとしょっちゅう喧嘩しているらしい。

もう関わりたくない。頭のおかしな人たちとは。

中村家は頭がおかしい家系だから、断絶すればいいと、私は思ってる。